あまりにも突然であまりにも若すぎる死。
23日の朝、「翔ちゃんが、翔ちゃんが…」という電話をもらい、すぐに自宅に駆けつけたが、すでに翔ちゃんは冷たくなっており、救命救急士と警察がきていた。
そして、その傍らで座り込んでいる水野さんの姿が目に入った。
土曜日にグループホームから帰ってきた。「ちょっと熱があるから明日の朝グループホームに送っていくつもりだから、遅れるかもしれない…」「わかった、大丈夫。こっちで…」と仕事の段取りを日曜日の夕方にしていた。
ごくごくありきたりのいつもの会話。
そんなあたりまえに続くはずだった「いつも」が突然終わってしまった。
死因は心不全。
てんかんの発作が起きたわけではない。
苦しんでお母さんを呼んだけれど、台風の風で聞こえなかったわけでもない。ほとんど苦しむこともなく息を引き取ったとのこと。
しかしそれらは、翔ちゃんの死という事実の前には、なんの気休めにもならない。
10年以上前から、僕は翔ちゃんとつきあい始めた。
最初は福祉工場の実習で初めて働くことに関わった。
そしてその数年後、布団工場での就職。
さらに数年後、別の会社での就職で…。
翔ちゃんのことはこれまでもこのブログでも書いてきたし、ジョブコーチの養成研修をはじめ、色々な場所で話をしてきた。
翔ちゃんが働き続けるには、色々と大変なこともあった。
本人の頑張りはもちろんのこと、生活面で関わったグループホームの職員さん、会社の方々…。実に多くの人が彼の働くということを支えてきた。
そうした支えの中、確実にたくましくなっていく姿を僕は目の当たりにしてきた。
一方、日々起こる様々なトラブルの中、一人で育てている水野さんの母親としてのつらさ、悲しさ、大変さも同じように見てきた。
翔ちゃんに辛く当たってしまった時や、怒ってしまった時のこと。そして、そうした時の自己嫌悪…。そんな姿もたくさん見てきた。
ついつい口をついて出てくる愚痴も、生きていればこそのこと。
翔ちゃんはいなくなってしまった。
明日からの滋賀での養成研修に向かっている午後2時。
翔ちゃんの告別式が行われた。
翔ちゃん…
君がどれだけ頑張って生きてきたかは僕は知っている。
たくさんの写真や動画の一つ一つに君の人生が詰まっている。
ホントに頑張ってきた。
たくさんの人との大変なことやつらいことやうれしいこと…。
そして何よりもたくさんの笑顔の中での素敵な時間。
僕は君からどれだけ多くのことを教えてもらったことか!
僕は翔ちゃんの懸命に生きてきた人生をたくさんの人たちに伝えていきたいと思う。
安らかにお眠りください。