2013年も後少し…。
今年一年も、実に色々なことがあった。
しかし、なんと言っても12月の2週間近くの入院は、その他の大切な出来事をかすませてしまうほどの大きな出来事だった。
10月頃から体調が今一つ思わしくなかったのは感じていた。11月の下旬にはさすがにまずいだろう、と思うようになった。
12月に入り、地元の内科に行くと「血糖値が異常なほど高いです。まずは救急に行って下さい。入院が必要です」とのこと。救急ではとりあえず検査をして、翌日、改めて色々な検査をすることになった。そして、「明日から入院できますか?」とのこと。
「いや、ちょっと待って下さい。無理です!」と答え、何とか12日からの入院となった。
当初は8日間の予定が結局は2週間近く。
その間、色々な予定をキャンセルして多くの人達に迷惑をかけてしまった。
一方、検査の結果は極めて良好で、ドクターからも
「今は緊急的に薬などで抑えてますが、いずれは、薬を飲まなくてもよくなる可能性は十分あります」と言われた。
不規則な食生活、極度の運動不足、ストレス…。
ある意味、なるべくしてなった病気。
6、7年前は毎月300kmから400km走っていた自分はどこへやら。
「忙しい」を口実に全く動くこともしなくなり、ただただひたすら膨張する身体を野放しにしていた結果。
2週間。
ゆっくりゆっくりと毎日が過ぎていった。
5人部屋の同室の方々は皆、僕よりも高齢で癌を患っている方もいた。
とは言え、ナースステーションから一番遠くの病室は、皆、元気ではあり、ナースコールを鳴らすこともない。日中は他愛のない話が繰り広げられる。
病室の中では、僕はホントにひよっこだった。
皆さん、一生懸命に働き続け、第一線を退いた人たち。
それぞれの言葉には、その人なりの重さを感じた。
同時に、このところ病気の進行が激しく、急激に衰えを感じさせるようになった自分の父親の事を思った。そして父親の「老い」からずっと目を背けていた自分を。
ガムシャラにやってきた一年。
いや、この一年だけではなく、くらしえん・しごとえんを立ち上げてから、ずっとそうだった。
流されることなく、もう一度、
自分をしっかりと見直せよ!
ということなのだろう……。
「人生の河は ゆっくり渡らないと
子孫のことが見えなくなる」
(イロコイ族の人の言葉)
若かりし日のノートの中に綴られていた言葉。
そう。
ゆっくりと渡っていこう!
今年一年、私たちと関わっていただいた方々全てに感謝をこめて……。
2013年12月31日
・・・おまけ
今年はブログを書き始めてから、6回目の12月31日。
恒例になった(ん?)「かつてはこんな12月31日でした」
2008年12月31日 「流れの中で」
2009年12月31日 「ゆく年」
2010年12月31日 「2010年の終わりに」
2011年12月31日 大晦日に思う
2012年12月31日 「2012年の終わりに」