「自分で勝手に仕事をつくってしまうんです」
仕事量の関係で、午後から食堂の清掃業務を行うことになったAさん。
担当するKさんも、どう対応して良いのか手探り状態。
それでも、仕事のペースもできてきたため、一人で任せるようになってきた。
そんな中、担当者が時々見に来ると、時間が余ってきたためか自分で「気がついたところ」を仕事として増やし始めた、というのだった。
Aさんが増やした仕事の中には、危険な場所の窓ガラス拭きや、不安定な足場での作業などもあるようだった。
そこで、先日、午後の時間、じっくりとAさんの仕事を見ることとなった。
手を抜いて仕事が早くなったのか?
やらなければならない仕事の「抜け」があるのか?
適正なスピードで行っているのか?
久しぶりに見たAさんの仕事ぶりは、テキパキしており、いい加減でもなく、抜けていることもなく、しっかりとできていた。
Aさんは、時間を持てあますために、冷蔵庫や食器乾燥庫など、何度も拭き直していた。
それでも時間が余ってしまい、自分で「あそこならできるだろう」と考えて、指示をされていない窓ガラス拭きなどの仕事を増やしていったのだった。
その日は「自分で考えた仕事はしてはいけません。Kさんに指示された仕事『だけ』をしてください」
結局、30分以上、当初の仕事よりも時間が余ってしまう状況だった。
時間が余ったので、Aさんと話しをする時間を作った。
「気がついたことはどんどん進んでやりましょう」「仕事は自分で見つけて取り組みましょう」
学校や家庭ではそう言われてきたAさんにとっては、こちらの言うことは「何故? どうして?」という思いだったと思う。
「仕事、もっと増やして下さい。仕事、したいです」
Aさんは言った。
「自分で『勝手に』仕事を増やすのはいけません。Kさんに、『この仕事をやりたいのです』と相談しましょう」
と伝え、その後、担当のKさんと三人で話しをし、翌日から、Aさんの仕事が数種類増えることとなった。
以前、ある事業所での支援のこと。
支援終了の頃には、作業スピードもあがり、時間短縮もできるようになってきたため、「もう少し、他の仕事もできると思いますが?」と話したとき、「いえ、とりあえずこれ以上は良いですので」ということになった。
その事業所に働くBさんの事を思い出していた。
もっと、こちらに提案力があれば……
もっと、事業所との距離を縮めておくことができれば……
結局こちらの声は届くことなく、Bさんへの支援は終わった。
「仕事、したいです」
彼女の真っ直ぐな言葉に、ドキッとした。
人の仕事や労働に対して、とやかく言うことが今の自分の「仕事」になってしまっているが、果たして、自分自身の「仕事」に対して、自分はどれだけ真っ直ぐに向かっているのだろうか?
自分が恥ずかしくなる言葉だった。
先日、Aさんから
「今日、七夕の日でしたから、今年も頑張りますからねって、自分で書きました」
そう書かれてあった。