「慣れる」

 『慣れる』ということは、『麻痺する』ということ? 水野とそんな会話になった。

「慣れる」という言葉は、良い意味で使われることが少ないような気がする。
 どちらかというと、「ずるさ」とか「手抜き」とかいうことに繋がっていくような、そんな言葉だろうか?

 今日、事業所に出向き、「本人との対応の仕方について」について小さなミーティングに出かける。その話し合いのメモの中に「なれる」という言葉を入れてみた。

「慣れる」ってどういうことなんだろうか? と考えてみたとき、「予測」と「対応」がポイントになるのではないかと思う。

 これは、周りの人にしても、本人にしてもそう。

 初めての体験の怖さは、予測ができないことが大きな要因となる。
 結局はそこのところではないかと。

 初めてブラインドランナーのロープを持って一緒に走った時、おっかなくて仕方がなかった。
 それでも、何度も何度も一緒に走っているうちに、だんだんと「慣れて」きた。

 ここで一つの落とし穴。
「慣れ」が「ダレ」や「手抜き」につながってしまったり……。
 そんな時、転倒させそうになったり、側溝に落ちそうになったりした。
「こんなもんか」という思いが、自分を傲慢にさせていたのだと思う。

 つまるところ、人と人との関わり方。そこに「障害」というフィルターがかかってしまうために、その人そのものが見えにくくなってしまっている。

「慣れるしかないです」とよく言うけれど、そこに尽きる。

 経験を積み重ねるうちに、次第に「予測の幅」が広がり、それと共に「対応の幅」が広がっていく。
 それでも、「失敗」はおきる。
 取り返しのつかない失敗を起こしてはいけないが、小さな失敗、ミスはたくさんある。
 あって、あたりまえ。
 そのたびに、レベルアップしていけばいいのだから。

「慣れ」もバージョンアップするものだし、していかなければいけない、そう思う。

090609ミーティングメモ (PDFファイル 184KB)
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