昨日、今日の二日間、第23回静岡県作業療法学会が開かれており、昨日の土曜日のセミナー講師として、話しをさせていただいた。
若い人たちのパワー、23回という長い歴史、そしてこの春の一般社団法人化…、等々、圧倒されることばかりだった。
大会のテーマは「現在(いま)やらまいか!途切れることのない支援に向けて」というものだった。
僕の担当するセミナーの一コマ前には、聖隷三方原病院リハビリテーションの片桐先生が「途切れることのない支援に向けて 地域支援における医療機関での役割を考える」と題して、話しをされていた。
…お話を聴きたかったが、バタバタしており、聞くことができなかった。
片桐先生や浜松リハビリテーション病院のOTさん達とは、この2年ほど色々なケースに対して一緒に取り組むことが多くなっている。
僕の話は、いつものように「就労支援の現場から」というタイトルでジョブコーチとは何か、ということから、専門家間の連携の話しなどを現場での事例を元に話しをさせてもらった。
タイトルは毎度変わり映えしないけれど、今回は、高次脳機能障害の方の支援経過報告がメインだった。
その方が脳血管障害で倒れたのは平成4年、36歳の時。
そして片桐先生と出逢い、高次脳機能障害と診断されたのは、平成20年。
実に16年の年月が経っていたのだった。
その間、奥さんがご主人を支え、一生懸命に生活してきたという。
片桐先生はいつも言う。
「支える人を支えなくては」と。
以前からおつきあいのある事業所に、その方の就労の相談をし、トライアル雇用、そしてつい先だって、トライアル雇用の期間が終わり、常用雇用に結びついた。
トライアル雇用を実施する前、一番反対をしていたのは奥さんだった。
「本人がイライラして帰ってくるのなら、働かなくてもいい」と。
16年間の思いが詰まっていることば・・・。
それでも、少しずつ、少しずつ体力もつき、トライアル雇用とは言え、それなりの給料をもらってくるようになり・・・。何よりも、家に帰っても、イライラする様子はみられなかった、とのこと。
トライアル雇用終了、常用雇用への移行のケース会議終了後、奥さんが、水野に向かって言ったという。
「今日は今から喫茶店に行って珈琲で乾杯です」と。
とりあえずは常用雇用に結びつくことができたが、足りないことがたくさん、たくさん浮き彫りになったケースであり、「足りない支援・必要な支援」を改めて突きつけられたり、そして、一緒にやっていくことの必要性を感じたり。
課題ばかりが大きくのしかかってきそうだが、それ以上に一緒にやれば、また、新しい形が生まれてくるということを実感できたことが何よりも、僕たちの財産になった。
これからの主体は、本人と事業所になっていかなくてはならない。
僕たちも片桐先生達も、何かあったらいつでも出動できる体制をとっていくのは勿論だが…。
支援をリレーにたとえるなら、誰にバトンを渡すのかということと、リレーゾーンできちんとバトンが渡すことができるか? ということだろうか?
セミナーの話しは、その方のケース報告は初めてであり、とってもまとまらなかったとひたすら反省、自己嫌悪…でした。