最近、支援に入るとき、「作業の指導は基本的には行いません」と言うことが多くなってきた。
勿論、作業指導は全く行わないわけでもないし、治具を作ることもある。それでも、最初の事業所との話し合いの時に、「働き続けるための、環境作りが一番の仕事です」ということを強調するようになってきた。
以前と言うことが随分変わってきたと思う。
障害者の就労支援に関わり始めた頃は、障害者本人しか見えていなかった。そして、ひたすら障害者に向かって行った。次から次へと色々なものを作ったりした。
今までを振り返って思う。障害者本人に向かい本人を何とかしようとアプローチしている方が、周りからも、自分に対しても「よくやっている」と映るのだろう、と思いこんでいた。
また、職場の他の従業員の人たちへの働きかけは本当にしんどいことで、ともすると、その「しんどさ」から目を背けるためでもあった、と。
だから、本人に向かう。
「ジョブコーチがいるときは良いけれど、いないとダメなんだよね」と言われた時、以前は、「自分との関係ができているから」「自分はきちんと支援できているから」等と思いこんだりもした。そして、その思いは、裏返すと、「あなたの支援、関わりができてないからでしょ?」という相手への批判・非難の思いが込められていた。
本当に恥ずかしいことだと思う。
「あなたがいるときは良いけれど」という言葉は、自分の支援能力、職場の環境構築力の無さを如実に表している言葉だと思うようになってきた。
そんな思いが強くなってきた頃から、「ジョブコーチ」という言葉ではなく、他の言葉を探すようになった。そして、最近では「ジョブコーディネーター」などと使ったりするようになってきた。
「ジョブコーチ」という言葉が少しずつ広がりつつある今、改めて、その中身を問い直さないといけないと思う。
……To Be Continued