「最初僕は、なんで自分の子どもだけがこんな目にあわないといけないんだ。なんで僕ばっかりこんなに苦しまなくっちゃいけないんだ・・・そんなことばっかり考えていた。
でもほかの赤ちゃんのことをいくらうらやましがったって、どうなるもんでもない。他をみているだけだったら、そこからはねたみやひがみしか生まれてはこない。いくらねたんでもひがんでも、それで子どもがどうなるものでもない。」
「・・・今、子どもが、そして僕が直面しているこの現実に、真正面から向き合うことでしか、この苦しみから抜け出ることはできないんだ、ということにようやく気がついた。そう思ったとき、初めて新生児センターの赤ちゃん達のお父さんやお母さんのつらさがわかったような気がした。
同時に、僕もみんなも、いや、この世に生を受けたすべての人がかけがえのない存在として感じられた。
本当、まわりばっかりに目や心を奪われていては絶対にダメなんだということ、今の自分をしっかり見つめることから、新しい何かが始まるんだ、とつくずく思う。
子どもが死ななかったことだけでも、まず、「よし」としなくては・・・。次は手術をした後の再出血がないことを祈るしかない。その次は、オッパイをたくさん飲むようになること・・・そして次は・・・。
というように、一歩一歩、前へ行くことしか道はない。そう思う。」
(「38HR学級通信 No.59 1988.6.22」より)
今日は修が子どもの付き添いで病院に行っているので、事務所に一人でいる。書類を探していたら修が教師時代の学級通信がでてきた。ひととき手を休め、読み始めたら止まらなくなった。ちょうど子どもが生まれる年に受け持っていたクラスの通信だったからだ。
生まれる前我が子に会うのが楽しみな様子、生まれた直後の感動、その後の苦悩、落ち着いたときの我が子への愛情、それらが学級通信の中に、私的なことと遠慮しながら綴られている。
流石、国語の教師、文章が上手い。止められなくなる。
そして自分のこととだぶっていろいろなことを考えた。
私の子どもは頬骨に腫瘍ができている。それが大きくなり、眼球が突出し物が見えにくくなっているため骨を削る手術をしなければいけない。その日が決まった。顔の手術はかなり出血を伴うらしい。できることなら代わってあげたい・・・
「なんで我が子ばっかり。」とふてくされ気味になっている私だが、自分なりの消化ができそうだ。
他と比較しても何も生まれてこない。一歩一歩前に・・・・
私がこの仕事を始めたのも「たいせつなものを守るため」なのだから