障害受容

 今、水野の息子さんが手術を受けている。
 午後の2時に始まり6時間ほどかかる手術だということだ。

 ジョブコーチとして一緒に現場に入っている時の彼女の分析力は非常に鋭い。
 しかし、一人の母親となり息子さんのことになると、こんなにも脆くなるものなのか? と思うほど脆くなる。

 「障害児を生んだ母親」として、水野は講義などで話をする。

「・・・泣いたり人にあたったりして悲しみの確認をしながらだんだん回復していきます。
 そして、時間がたつにつれ受容できたんだと思うようになりますが、それでも子どもの成長の節目節目に、他の子どもが難なくクリアする課題を自分の子どもが出来なかったりして落ち込んでいきます。
 その時期時期に他の子どもの状態と自分の子どもの状態を比較して、改めて自分の子どもの障害に向き合わされ、普段はもう解決されたと思ってきたものが不安の種として出現してきます。
 差別や偏見にあったときいつも『この子だって普通に生まれたかったのに・・・』『この子に罪はない。私が産まなければ・・・』と自分を責めます。
 その気持ちが心の奥底に押し込められているんです」

 そしてまた、

「結局障害を持った我が子は受け入れても障害そのものを受け入れてはいないのでは・・・
 体や知能に障害を抱えていても決して人間の価値が劣るわけではありませんが、でも社会にでると障害そのものを突きつけられるんです」 と…。

「障害は決して受け入れられない。
障害を受け入れるのではなく、差別や偏見を引き受けていくことなんだ。」

 これは、ジョブコーチ研修で講師をお願いする高木さんの言葉。

 この手術の前のレントゲン検査が上手くできなかったようで、その時、検査室の中から、何度も何度もきつい言葉が聞こえてきた、と言っていた。

「病院にきちんと言った方がいいよ」と言う僕の言葉に、うなずきはしたけれど、彼女は結局、何も言わなかった。

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