「修先生、平成元年卒業38HRの○○です。わかりますか?先週、○○、××、△△と同窓会をやりまして先生に会いたいという話になりました。先生は今どちらにいますか?」 3月末、そんなメッセージが突然飛び込んできた。
もう30年前の卒業生。彼女たちも50歳目前。
彼女たちが卒業した翌年、家庭の事情で学校を辞め地元に帰ってきてしまったために、ほとんど音信不通になっていた。 その後、当時のクラスのライングループがつくられた。
「子どものお弁当作りが…」
「大きな手術しました」
「三人の男の子が…」
僕の手元にあるのは、30年前の卒業アルバムと、断片的な当時の記憶。
何時も眠そうな顔をしていた奴。
しらーとした顔をしていた奴。
こちらを心の内をしっかりと見透かしているような奴。
良い子の仮面(?)をかぶっていた奴。
色々としでかしてくれた奴…。
教師と生徒のだましあい…。感情のぶつけあい…。
それは教室であったり、グランドや体育館や、職員室であったり…。
それらが一つ一つ蘇ってくる。
この30年。 色々なことがあったんだろう、と思う。 勿論、僕にしてもそうだ。
あの頃の事を思うとどうして、こんなに胸がギュッとなるのはなぜだろう?
そんな思いを先月末以来、感じている。
30年前に、今の自分の姿など、誰も想像できなかった。
ただただ、単調に思える毎日の繰り返し。
何気ない日常。 そんな中で、折々、迫り来る選択や判断。
多くの人との出会い・別れ。
突然、ふりかかる人生を一変させるような出来事。
大小様々な「その時」を繰り返しながらたどり着いた「現在」。
想像できないことがとてもたくさんあるからこそ「あの頃」は大切だったんだと、今にして思う。
先のことなど誰もわからない。
年月を経る毎にそのあたりまえの重さを知っていく。
そして何気ない毎日の愛おしさを。
それでも、一生懸命に毎日と向き合ってきたからこそ、お互いに会いたいと思えるのだろう。
同じ時間を与えられた者同士。よく、頑張ってきたよね! と。
そんな風に、自分自身を褒めてあげたいのかもしれない。
彼女たちに会いたいと思う。
そして、30年という時の流れを色々と聞いてみたいし、聞いてほしいと思う。