怒り

 色々な場面で「怒り」を覚えることがある。
 ジョブコーチ支援の現場では、どちらかというとその怒りを飲み込む事が多い。
 そして、その「怒り」の持って行き場や処理の仕方に悩み苦しむ。

 逆に、一方的に「怒り」をぶつけられることもある。
 いきなり「がツン」と頭を殴り付けられる。全く予期もしていない、不意打ちである。
 その場では、相手の怒りの本質も分からずに、とりあえずは怒りを拡大しないように「すみません」と頭を下げる。
 しかし、時間が経つにつれ、なぜ、怒りをぶつけられないといけないのか、どうしても納得できない時がある。もっと言えば、すみませんと謝った自分自身に腹が立ってくる事もある。

「『怒り』というのは、理性で考えないといけない」
 まだ若かりし頃、尊敬する先輩が教えてくれた。
「怒り続けるには『理性』の力が必要」だとも。
 どこまでがその人の言葉だったのか、今でははっきりしないし自分なりの付け加えたものもあるだろうが……。

 すぐに消えてしまうような「怒り」はそれは自分の単なる感情の爆発でしかない。何度も何度も自分の怒りの正当性を考えていくうちに、自己嫌悪に陥ることもたくさんある。
 後になればなるほど、その怒りが増幅していく場合もある。その時は、何に対して自分が怒っていたのかが、だんだんとずれてくることがある。
 そして思うのだ。「これは怒らなければならないのだ」と。
 一呼吸おくどころか、1日2日その「怒り」を心の中で転がし続ける。
 全くもって不愉快な時間だ。
 それでも怒らなければならないことである、と思った時には、しっかりと「怒り続け」ないといけない。
 しかし、往々にして、怒り続けることに疲れてしまい、いつの間にか自分の中でウヤムヤにし、「そんなことで怒ってもなぁ」と怒りの収めどころを探していることの方が多い。

 感情を表すことはよくないことではない。
 怒りはとても大切なんだ。
 
 だからこそ、その怒りと付き合う術を自分の心の中に培っていかなければいけないと思う。
 何でもかんでもウヤムヤにする、曖昧にする、表面的な「笑顔」」でごまかすことが多い今の社会。
 逆に、所構わず怒りをぶつけることが多い今の社会の中にあってこそ、だ。

 と、こんなことを書いているのも、理不尽な怒りをぶつけられた、という話を聞いて、腹が立って仕方がないからなのだ。
 落ち着け、落ち着け!
 そう自分に言い聞かせるかのように今、iPadの画面に向かっている。

 深呼吸が必要だ。

 正体のわからない感情と向き合うことの難しさ。
 それはとってもしんどいことだし、怒りや悲しみ喜び……、そうした感情は簡単にわかるものではない。

 それでも、そうした複雑な気持ちを丁寧にすくい上げられる両手を持ちたい。

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