『春について』

「あれもやってない」「これもやってない」という焦りに追いまくられているうち、「ま、しょうがない」という開き直りに切り替わる瞬間がある。

 丁度、昨日辺りがそうだったかもしれない。
 すると、途端に、「回想モード」に入ってしまったりする。

 昨日、ホームページを更新していた時に、突然思い出した土井大助の『春について』という詩も、そうした気持ちの一つかも知れない。

 本当に久しぶりに思い出した。。思わず、ホームページの「あいさつ」に引用したのだが、なかなか思い出せずに、自宅に戻り本棚を探してみたが、詩集はみつからなかった。

 大学時代のノートに書き残していたことを思い出し、やっとのことで、「対面」することができた。こんな詩だ。

『春について』     土井 大助

だれもがうたがうものはない。
今冬だということ。
冬のあとには春がくること。

 だが 君はしっているか。
 春はどんな顔をしているか。
 どんな歌をうたうのか。

すぎされば 青春はいっとき
人生だって……たぶん……
たしかに だまってたって春はくる。

  けれども そんな
  のっぺらな春の中で
  きみは泣けるか 笑えるか。

しゃんとした春を彫刻するなら
この冬の壁にノミを打たねば。
はればれと春の歌がききたいなら
まず この凍った土を掘りおこさねば。

  喜びの友情はにぎにぎしく
  つらいときの友情はみにしみる。
  冬はむしろ ほんものを許すいい季節だ。

ぼくらの この時代を
のちの世の人々は語るだろう。
だがまず ぼくら自身たっぷりと語ろう。

    どんな冬があり 春があったか。
    つらい冬のなかで春が
    どんなにけなげに燃えたか。

 そして 冬からはるにかけて
 青春も人生も けっして
 いっときなどではなかったということを。

(詩集「十年たったら」より)

 大学自体のノートは黄ばんでいて、まさしく「セピア色の自分」がそこにいるかのよう。
 当時の自分と対面するには、あまりにも恥ずかしい。

 10年どころではない。あれから30年の年月が経っているのだ。それでも、あの頃と見ている方向がそれほど違っていないことは、ちょっぴり嬉しく思ったりもした。

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