「障害のある子は母親と一緒なら幸せ?」
「障害のある子を育てる事は自分の人生を諦めて子供のそばにいる事?」
「母親や兄弟はみんな好きな道を歩くことはできないの?」
いつの頃からかそんな事を毎晩考えるようになった。
決して子供に愛情が無いわけでも、これといって明確に自分がやりたい事があったわけでもない。でも漠然と不平等を感じていた。他でもない“誰が障害のある子の親になっても多様な生き方が選択できる「機会の平等」を保証されていない社会”に対してである。
2001年、新聞記事に載っていた「ジョブコーチ養成研修」の文字。これだ!と躊躇することなく申込の電話をしたのを覚えている。
それからずっとジョブコーチに携わっている。自分のスキルの未熟さもあるが、なかなか障害を持っている人達が働き続ける事の難しさに幾度となく直面してきた。
そのたびに我が子の一般就労の夢は遠ざかった。働いている人達と比較すれば自分の子供の能力は低いし、また、子供を信じる事に不安があったり、子供の出来ない部分に向き合う事が辛く、自分が傷つくことを恐れ、自己防衛してしまう心があったりと・・・。
だが諦める事はできないでいた。いつもいつもそのことが心の奥にあった。
2009年12月21日、知的障害の次男(20歳、療育手帳A)の事業主委託訓練が始まる。臆病な私が決意出来たのは、信頼して預けられる事業所、信頼して委ねられる支援者を見つける事ができたからだ。
訓練中もいろいろな事があるだろうが、どんな事も乗り越えていける覚悟ができている。母親と子のそれぞれの幸せな人生を夢見て、やっと一歩踏み出す事ができるのだから。